水瓶

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【感想】映画ポケモン「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」を観てきた。

2019年7月12日公開の映画、「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」を公開当日にナイトショーで観に行きました。

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映画を見て個人的に考えたこと、感想などを極力ネタバレせずに書いていこうと思います。

** 1, 立体的なグラフィック

何て言ったらいいのか分からないけど、サトシとかカスミが3Dになってることに時代の流れを感じた。
初期の味のある「ミュウツーの逆襲」と比べて、よりリアルに、綺麗な世界になっているように見える。

だから、ポケモンを見ているようで違う別の映画を見ている気分になった。

本作は「科学技術の進歩」とか「遺伝子組み換え」とか倫理的、哲学的なメッセージが多く含まれているが、科学技術の進歩によって進化したこの映画は果たしてポケモン映画と言えるのかという自己批判も含まれているのであろうか。

ただ、ポケモンは見てて可愛かったので、少し安心しました。

** 2, 哲学的な問い
映画の公式サイトにも書いてあるように、本作はミュウツーの「ここはどこだ」「わたしはだれだ」という問いから始まる。

すなわち、「自己の存在の意味」への問いが主要なテーマであると思われる。
もちろん他にも、先ほど述べた生命倫理の問題や、争うことの意味とは何かを論じることもできる。

筆者は「人生の意味とは何か」と言ったことに関心があるので、ここではそれについて述べていくことにする。

まず、ミュウツーは「なぜ私は生まれてきたのだろうか」と問う。しかしこれは通常我々人間が自分の生の意味を問う場合とは少し事情が異なる。
なぜなら、ミュウツーはミュウの一部をもとに人間によって作られた存在、すなわちクローンだからである。

2つの自分がいて、オリジナルとコピーが存在する。人間によって作られたコピーは「何のために生きるのだろうか」。

しかしここで、一つ別の問いが生じる。
例えば、もし仮にあなたの目の前に自分と全く同じ存在がいたとして、「どちらが本物であるか」を証明できるであろうか。

自我の証明とヒトクローンの問題を論じる能力は筆者には無いが、専門家でも相当難しい問題ではないかと思われる。

映画ではオリジナルとコピーの争いの末、ミュウツーは「生きているから生きているのだ」という結論にたどり着く。
ここまで来るともはや「生きる意味を問うことに意味はあるのか」と言った境地になってくる。

従って、散々考え抜き、闘いを通じた後にようやく「生きる意味」の答えが見えてくるのだというメッセージであると筆者は解釈した(これはウィトゲンシュタインが著した『論理哲学論考』の議論を踏まえた筆者の解釈である)。

終わりに
映画を見た感想としては、とにかくいろんなメッセージが主張されているなと思った。その中でも一貫したテーマは、「自己の存在の意味とは何か」という問いではないだろうか。

子供向けの映画というよりは、「ミュウツーの逆襲」を見て育った世代、大人を対象とした映画であると思われる。
これまでのポケモン映画とは少し毛色が違った作品になっていると思いました。

論理哲学論考 (岩波文庫)

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