水瓶

自由に書きたいことを書くブログ

文系からエンジニアになった会社を鬱で辞めた話

はじめに

お久しぶりです!椛です。

気が付けば一年以上ブログを更新していなかったので少し懐かしい気持ちです。

 

さて、タイトルにある通り、転職した会社を今年の4月末付で辞めました。

もう8月になりますが、現在は失業保険を受給しつつ転職活動を行っています。

IT業界ではなく、web業界でのディレクションやマーケターの職種を中心にして会社を探しています(それはまた別の話で)

 

辞めた会社は自分にとって2社目の会社であり、約2年半勤めていました。

自社開発も行ってはいましたが、SES事業中心であり、去年の3月から念願であった開発現場に客先常駐のエンジニアとして働いておりました。

 

結果的には精神的に病んでしまい退職を決意しましたが、自社の社長や現場の先輩方はとてもいい方に恵まれ、環境自体はホワイトであったと思います。

ではなぜ、念願であったエンジニアを辞職したのかというと、一番大きな要因は理想と現実とのギャップが大きかったのではないかと考えています。

また、モチベーションの面で2019年は「東京のIT企業に転職すること」、2020年は「監視運用から開発現場に行くこと」を目標として行動し、実際に達成することができましたが、いざ実際に開発現場に入った途端燃え尽き症候群のようになっておりました。そのため、業務外で自己研鑽をすることなく、現場の業務に必要なスキルを身に付けることができず、次第に仕事についていけない状態になりました。

 

徐々に仕事でミスが増え、怒られることも多くなり、そこで気持ちを前向きに切り替えることが段々とできなくなり、身体的に鬱の症状が現れ、精神内科にてうつ病の診断書を貰い1ヵ月休職→退職しました。ちなみに今は元気です。

 

本稿では開発現場でどんな業務をしていたのか、どのように過ごしていたのか、そして、エンジニアとして成長するために何が必要だったのか、またもしも、うつ病になった際にどのように行動すればよいのか等、自分の体験を元に執筆していきたいと思います。

 

開発現場での業務について

現場に入場するまで恐らく引継ぎ等の関係から約2,3か月ほどの待機期間があり、その間にOSSDB SilverというPostgreSQLの資格を取得していました。

 

今思い返せば、ようやく開発現場でエンジニアっぽい仕事ができるという安心感から、待機期間の間に実務に向けてプログラミングの勉強などを怠っていました。

大学受験と同じで、「入ること」が目標で「入った後」にモチベーションが一気に下がってしまうような現象と同じです。

 

その状態で現場に入り、一応プログラマーとして業務がスタートしました。

最初は本当に右も左も分からず、一から十まで教えてもらわないと何もできない状態でした。プログラミングのスキルはおろか、データベースやLinuxの操作、ネットワークの知識、PCの基本的な操作でさえ、先輩とは天と地ほどの差を感じていました。

 

業務はシステムの改修や機能修正のプロジェクトが多く、仕様に基づいて簡単なコーディングや、テスト仕様書の作成、テストの実施を行っていました。

 

現場に入ってから足りないスキルを業務外で補う努力をするべきでしたが、どうしてもモチベーションの面でやる気が起こらず、家に帰ってだらだらと過ごし、休日は出かけて遊びに行き、一切勉強しない生活を続けてしまいました。

 

そのような生活を続けていたため、業務についていけず、最初は優しかった先輩の目も少しづつ厳しくなっていきました。また、コロナの影響もあり、リモートワークを行うようになってから、仕事に対するモチベーションすら失っていきました。

 

その結果、評価が下がり自分の単価が下がることになりました。

そうなると当然ながら自社からも注意を受け、まだそこで頑張ることができれば良かったのですが、気持ちを入れ替えて本気で頑張ることはできませんでした。

 

入場して半年が経過しても、私の仕事は次第にテスト業務が中心になっていました。

プログラミングの基礎的な知識が分からない、自分でコードを書けないので任される仕事の範囲も少なくなる。しかし、テストでさえ確認ミスが多く再実施項目が増え、工数が多くかかってしまうことがよくありました。

 

スキルもやる気も無く、いつ退場になってもおかしくないような私を、厳しいながらも優しく指導してくれた先輩には本当に感謝しています。

 

だけど、自分の中でこのままエンジニアとしてのキャリアを歩んでいくことに自信を持てなくなりました。何となくエンジニアになれば楽に稼げそう。どこでも働けそうなど、今振り返れば安易なモチベーションでIT業界に入ったのがそもそもの始まりで、実際にいざ開発業務を経験してみると、なりたい自分の姿と現実のできない自分とのギャップが大きくなり、次第に心苦しさを感じました。

 

「好きこそものの上手なれ」というように、寝食を忘れてコードを書いたり、自分で何かを開発することができる人でないと、開発系は向いていないと心底思います。

 

鬱になりかけてから精神科でうつ病の診断を受けるまで

2022年の元旦から2月の終わりごろまで、割と大きなプロジェクトがあり毎日出社、残業の日々を送っていました。相変わらず個人的なミスも多く、作業の進捗が悪い状態が続いて、怒られることも多くなりました。そこで気持ちを切り替えて前向きに頑張ることができるのが正常な状態だと思いますが、私の場合は怒られる→萎縮してさらにミスが増える…というような悪循環に陥っていました。

 

3月の半ばごろ、割と大きなミスをしてしまい、体調に変化が現れはじめました。

仕事中憂鬱な気分になり、座っているだけでしんどい。眩暈と頭痛。人生の絶望感。

その中でまた別件で、コミュニケーションのすれ違いから強く詰められたことがあり、完全に心が折れました。その次の日の夜、評判の良さそうな精神科クリニックを探して予約の電話をしました。それから続いて自社の社長にうつ病かもしれないことを連絡し、今後について電話で話しました。その翌々日、自社から現場にも話がある程度伝わっていたようで、チームのリーダーに自分の症状のことや、仕事ができないから自分の価値は無いのではないか、などありのまま電話で伝えました。

「仕事なんで生活するための手段の一つだから、それで思い悩むことはない」という回答は、もし自分と同じようにうつ病になりそうな人に伝えたい言葉だと思いました。

 

話をしている中で、自分はコードよりも文章を書くのが好きだということに気が付いたのが、最終的に退職を決意するきっかけになったと思います。ちなみにその後体調不良のため仕事は早退しました。

 

その週の土曜日に予約していたクリニックへ行きました。

担当医は比較的若そうな優しい先生で、「診断書出しますね。とりあえず1ヵ月くらい休職しましょう!」みたいな感じでした。あと不眠もあったので睡眠薬も1週間分ほど処方してもらいましたが、2回くらいしか使わなかったです。

 

診断後は自社に伝えて、4月から1ヵ月休職する流れになりました。

うつ病になると本当に何のやる気も起きず、最初の1週間くらいは毎日布団の中で生活していました。なお、休職中現場のカードキーを返すことになり一度だけ出社してこっそりリーダーに渡して帰りました。

 

うつ病になった原因が仕事のストレスであり、仕事に行かなくてもいいようになると自然と症状も回復し、3週間くらいでほぼ回復していました。

 

そこで改めて、今後どうするのか選択する必要がでてきます。

すなわち、仕事に復帰するのか、会社を辞めるのか。

個人的にはもうIT業界から違う業界に行きたいと腹は決まっていたため、自社の社長にweb面談の形で退職の意を伝えました。あっけなく了承されました。

 

あまりいい形ではありませんが、上京してから約2年半ほどお世話になった会社を4月末付で退職しました。

 

この経験から、自分がうつ病であると感じたらなるべく早期に周りに相談することが重要だと思いました。友達に相談するのでもいいです。精神的に予約して専門医の判断を得るのもいいです。「気が付いた時には何にもできなくなる」のが最悪の自体だと思います。うつになった時には、一歩勇気を出して周りに助けを求めることが本当に重要だと自分の経験から思いました。

 

文系からエンジニアになりたい人に伝えたいこと

大学時代は文系なのに、社会人になってからいきなりエンジニアを目指している!そして開発現場に入ったという私のような人はIT業界に少なからずいると思います。

 

そこでまず最初に苦労するのは「就職の壁」だと思います。

中々最初から自社開発の企業や開発メインの会社に入ることは正直厳しいです。

ポートフォリオや基本情報、Java SilverとかOracle, LPIC, CCNA等の資格があれば多少は有利かも。)

ちなみに私の場合は1社目大手のSES, 2社目は零細SESに入りました。

なのでここからはSES企業に入った前提で話をすすめます。

 

入社後に待っている壁は案件ガチャです。

1社目は片田舎の工場、2社目は家電量販店のスマホアドバイザーみたいな案件の面談を受けさせられます。ほぼ強制です。ちなみに家電量販店の案件面談で、「土日は資格試験受験したいから休みたい」と言ったら落ちました。

 

開発現場の面談も運よく2社目に入社してすぐ受けることができましたが、コミュニケーション能力の低さから落ちました。IT業界は会社に入ってからもずっと面接や面談が付き物だと思います。本当にコミュニケーション能力が大事だと思います。

 

そして結果的に監視オペレーターの案件に私は入りました。

その頃の私はエンジニアとして早く開発現場に行きたい一心で仕事や学習に取り組んでいました。監視オペレーターの仕事は本当にエンジニアとしてのスキルの部分が全く身につかないような業務と言っても過言ではないので、いかに早くその現場を抜け出せるかが鍵だと思います。人の入れ替わりが激しく、有能な人ほど実際に早く抜けていきます。モチベーションの部分をしっかりと保ちつつ、自己研鑽をかかさず行うことが大切だと思います。

 

そこから、開発現場に入った後について、もう少し詳しく業務に携わる上で必要なスキル等を書いていきたいと思います。

 

まず一番重要なのはコミュニケーション能力です。報告・連絡・相談はどの現場でも絶対に必要です。特に開発現場の場合、チームでプロジェクトを進めていきます。

プロジェクトには決められた納期や予算があり、いかに効率良く作業を進めるかが重要になりますし、その部分で評価が決められます。

 

例えば少しでも作業が遅れそうであれば、その時点で先輩やリーダーに報告・相談すること。何も言わずに一人で抱え込んで進捗が遅れる方がまずいです。

 

また、不明なことを質問する力も大切なスキルです。

コードを書いてテストをした時に、バグやエラーが出ることがよくあります。

そのエラーの意味や、解決方法について最初から全部自分で理解して対処できる人は少ないと思います。なので、よく先輩から「15分悩んで分からなければ質問しなさい」というように指導されていました。15分考えても分からなければ、それ以上時間を使っても分からないことが多く、時間の無駄になるからですね。

 

なので、業務中に少しでも分からない、作業に支障が出そうなことがあればすぐ先輩に聞いた方がいいです。最初に入場して3か月くらいがチャンスです。その間にどれだけ沢山のことを先輩から学び取ることができるのかが、今後の成長にも左右すると思います。

 

最後に、自己研鑽をすること。これは業務に必要なプログラミングの知識等だけではなく、自分の興味のある技術や、やりたいことに向けた学習が常に必要です。

これができないと仕事についていけない、将来的に業務の範囲が狭くなるなど、自分が一番困ることになります。技術の進化についていく体力というか、知的好奇心が無いと開発の現場は正直向いていないと思います。

 

また、自分の1年後、5年後、10年後に何をしたいのか、キャリアについて考えることがエンジニアとしてモチベーションを保つコツではないかと思います。

自分の場合は、Androidアプリを開発するエンジニアになりたいと考えていました。

理由は、、Androidスマホしか使ったことがないから。kotlinエンジニアの年収が高いから。自分でオリジナルアプリを作れたら便利そうだから。

今思うとこういった漠然とした目標しか持っていなかったのが良くなかったと思います。より具体的に、こういうサービスを開発したいとか、技術を通してやりたいことが見えてくると良いと思います。

 

私がIT業界を辞めて別業界に行きたいと感じた理由

「なぜエンジニアを辞めたのか」という部分について、絶賛今転職活動の面接で苦戦している部分になっています。改めて言語化して考えていきたいと思います。

 

まず、自分がSESで働いていたこともあり、自社とは異なる会社名を名乗って客先の現場に入ることになります。その中で、次第に「自分がどこの会社の社員なのか」が本当に分からなくなってきます。また、自社との関わりも薄くなり、帰属意識も薄れてしまいました。正直ただの下請けの人間にしかすきず、派遣で働いた方が給料も高いのだろうなと考えたこともあります。

 

また、基本的に業務における裁量が小さいことにも不満を感じていました。

開発全体の工程を見た時に、例えばシステム改修の場合要件定義は元請けが行い、その子会社が詳細設計を行い、さらにその下の協力会社が実際の開発やテストを行うといったように、多重な下請け構造の中で業務が分担されています。

自社開発の企業に行けばまた別かもしれないですが、自分がどんなに頑張ろうと開発工程のほんの一部分しか携わることができない点に物足りなさを感じていました。

 

自分がプロジェクトに携わった結果、どのようにシステムが運用されているのか、最初から最後まで見届けることができないことにもどかしさがあります。

言い換えると「顧客からエンドユーザーに携わることができない」という点があります。

 

また、それが仕事だよと言われればその通りなのですが、プロジェクトには予算と納期が存在するため、プログラマーはいかに効率よくタスクを完了させていくかで評価されているように感じていました。これをゲーム感覚で楽しめる人ではないと向いていない仕事だと思います。

 

これらの理由から、今現在、もともと興味のあったwebメディアに携わる職種、制作全般に携わることが出来るwebディレクター、webマーケター等のweb系企業の会社を中心に転職活動を行っています。

 

書き出してみるとIT業界自体への不満、プログラミングの適性の無さ、明確なモチベーションの欠如から会社を辞めて転職活動を行っているように見えますね。

改めて今後自分が何をしたいのか。将来どのようになりたいのか、引き続き考えていきたいと思います。

 

さいごに

勢いのまま書いてしまったので、読みにくいところや不明瞭な点がございましたらご容赦ください。エンジニアになり最後うつ病で退職してしまいましたが、それは私の能力の至らなさによるものであり、前職の社長や現場の先輩方などは本当に良い方に恵まれておりました。人間関係の部分では、本当に幸せな環境で社会人として働くことができました。また、会社を辞める際、現場のお世話になったチームの先輩方にご挨拶をできず、ご迷惑をお掛けし申し訳ございませんでした。

 

様々な人に支えられ、お世話になってきたことに改めてお礼申し上げます。

前職の経験を活かし、新たな人生のチャレンジとして精進していきたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

椛 2022/8/17